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ドダイでございます。 人間がいつの間にか作ってしまった決まりごとのひとつ、結婚。 誰が考えついて現在に至るかは知りませんが、考えれば考えるほど無用なものでございます。 恋愛の到着点、愛情の具現化、相手への誠意…結婚の意味するところは解らないでもないのでございますが、果たして、”結婚しなければならない理由”とは何なのでしょうか。 恋愛感情があっても他人同士、精神の結束など形にできないものでございます。 しかしながら人の業は、形のないものを信じる強さを持てずに現在に至っているのではないでしょうか。 すべての婚姻関係がそうではないとは思いますが、そこまでの関係が築けているというなら、尚更結婚して形にするまでもないはずなのです。やはり内的にも外的にも、様々な人の業が働いているのだと推察に至るわけでございます。 さて、私が最も嫌うイベントは結婚式、いわゆる結婚披露宴でございます。 結婚式とジャイアンリサイタル、どちらかに行けと言われたら間違いなく ジャイアンリサイタルを選択いたします。とにかく、行きたくありません。 しかしこれが困ったことに、行きたくないからといって無下に断れない空気があるのです。 結婚式に誘ってくれるほどの友人というのは、それほどいてくれるものではありません。それを、今から結婚するという人に向かってどうのこうのと言う訳にもいかず、頼まれると断れない弱い私は苦心してしまいます。 まあ、結局行かないのですがw ・・・私が逆の立場になって考えても、とにかくわけのわからぬ決まりごとの集大成である結婚披露宴、これにはついていけません。 だいたい、手前味噌の祝い事に来てくれと頼むところから間違っています。友人が自主的に祝ってくれるというなら解りますが、金持ちの息子の誕生会のように「結婚を祝いに来てくれよ」と招待状を配るなど、人の気遣いを頂戴しているような嫌な気分です。ましてや、親族にとってはさらし者でしかない場に、いろいろ根掘り葉掘り紹介され、脈絡もなく着替えさせられたりいたします。いわんや着替え中で主役の居ないときに、友人たちの余興が行われたりという本末転倒をやっている場も見た事がありました。 無駄に大きいケーキを二人で切る意味も、円卓のロウソクに火をつけて周る意味も、何の裏づけがあってやっているのかさっぱり解りません。 これは、私が感じているだけのことに過ぎないことなのでしょうが、ただただ、 「そういう決まりになっている」「みんなそうしている」「そうしなければならない」というのでは駄目だと思うのでございます。 祝い事をしたい、主役になりたい、というのは解りますが、やるからには最低限どんな意味があるのだという気持ちをもって行っていただきたいと思うわけでございます。
ちなみに、スーツが虫に食われたというクリティカルな理由ができました。これで一切の結婚式を乗り切っていこうと思います。
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Jeekです。
たった今、マンダレイという映画を観ました。長きに渡る奴隷制度の中で生きてきた黒人と分類される人々が、制度から開放されても、結局はそれが根付いてしまい、生きていけなくなる・・・的なテーマの映画でした。 恐らく、結婚式のような風習も似たようなものでしょうか。 まぁ、冠婚葬祭、戦争、全て企業の利益の為にあるものと考えれば、結構合点がいくものなんですが、そういう一切のものを跳ね除けて生きているよう僕を、いかにも「悪い」モノのように扱う人々には、本当に腹が立つ日々が続きます。 自分が無根拠で、全く無駄である「風習」に縛られて生きていることにすら気がつけていないくせに、人を「非常識だ」と評価する余裕だけはある人が多すぎます。 そろそろ7年ぶりくらいに暴れようかどうか検討中。 |
Jeek殿毎度どうも。
確かに結婚式を、心から喜んでいる両名親族たちの姿も見ており、彼らのそんな気持ちをけなすようで心苦しくもあります。 結婚式に前向きな気持ちで参加できない私のような人間は、やはり参加するべきではないと常々思うのです。
【2006/11/13 20:20】| | 暫定ドダイ改 #2a9ce76ea5 [ 編集 ]
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